五億円なんていらない!

そういや昔から病んでたという話。

 

ライターとして、周りの人の支えや期待もあり、

運良く、思いの外ライターとして上手くいき出してた頃、実はものすごく悩んでた。

 

そもそも、私は繊細?なのか「気をもらいやすい」ところがあり、まずインタビューした時点で相手の気をくらって帰ってベッドに倒れ込む笑。

 

そこから、書き起こし、編集、ライティングの作業があると思ったら毎回気が遠くなるほどの精神的重労働だった。でも、これくらい気をもらいやすい人じゃないと、良い記事は書けないような気がする。良い記事を書くのか、病んで倒れるのかという2択。思ったより命懸けの仕事だった。

 

私はもともとは、野心家で、学生の頃なんかは

「何者かになりたい」とずっと思っていた。

何かを見返したかった。

学生の頃も、「何もできない出来損ない」扱いを受けていたから、とにかく「私はできるんだぞ」と見返したかった笑。

でも、その「何者かになりたい」という野心は、

ある日不健全なものだと気づいた。

 

私がなぜか、「何者かになりたい」と思っていたのは、「私のことを出来損ない扱いしてきた母を見返してやりたい」というのが潜在意識にあった。「私が見返したかったのは、世の中なんかじゃなくて、母親だったんだ」それに気づいた瞬間、私の「何者かになりたい」という野心はなくなり、「何者にならなくてもいいから幸せになりたい」という夢にかわった。

 

それに気づいたのと、ライターとして上手く生き出したのが同時期くらい。

 

ライターとして、今は2割くらいうまくいってるとする。名前がうれたらもっとライターとして稼げたりするんだろう。ライターとして名前を売ってキャリアアップしていくという話もきてる。このままいくと私はライターとして有名になるかもしれなくて、いわゆる「何者かになる」のかもしれない。

 

でもそれって幸せなことなんだろうか?

何者かになることで何が得られるんだろうか?

幸い、東京で「何者か」になった人に沢山お会いしてきたけど、何者かになったことで幸せそうな人なんて1人も見なかった。むしろ孤独で寂しそうに見えた。「何者か」であるがゆえに、変な人がいっぱい寄ってきて、友達をつくるのさえ大変そうに見えた。

 

それをみて、何者かになったところで、なにがどうなるっていうんだろうと思うようになる。

 

たとえば小説でも書いてその小説が運良く賞をとったところで何がどうなるっていうんだろう。賞もとったことないくせにこんなこと言うのはダサいのかもしれないけど、偉い人からの評価を受けたところで何の価値があるんだろう

 

と考えて病んでる時期があった。

 

今回の入院中も、ずっとノートとペンをもって、色々描いてたら(最初は主に主治医に対する攻撃的な文章wとか、病気の原因かもしれない生い立ちの話とか)

 

主治医の先生から「そんだけ書けるなら漫画の原案を描けば良い。漫画の原案は今でも儲かるよ。呪術廻戦の人なんて5億も印税が入ってる。(わざわざ計算してくれてた笑)5億やで!やる気にならん?入院中やることないなら漫画の原案かいたらいいよ!それにあなたの話は、事実だけど、妄想を疑うようなとっぴょうしもない話が多い!それを普通に話すと妄想を疑われるけど、漫画の中ではどんな妄想を書いたって自由だからね!」と言ってくれた笑。

 

私、事実を言ってたのに最初は「妄想、虚言癖」を疑われてたの。ひどくない?笑

 

でも、あいにく空想のお話を書くのは苦手で入院中に漫画の原案は書けず。

 

色々言われたこと、「5億円儲かること」とかについて考えたんだけど、

 

私は「5億円より幸せの寿命の長さが欲しい」という結論に達した。

 

幸せは5億円で買えない。あとは、メンタルの病も5億円つんでも治らない。めちゃくちゃ辛い。

 

病院で仲良くなった友達数人に、「今5億円あったとして、今のメンタルの病気が治るとしたら5億円払う?」と聞くと、

 

全員が「払う!」と即答した。

みんな、それほど苦しいということなんだなぁ。

 

普通「宝くじ3億あたったらどうするー?(ワクワク)」みたいな会話になるのに、

 

「5億なんていらねー!!病気治して楽になりたい!幸せになりたい!」だもん笑。

 

ほんと、健康第一です。