音楽を諦めたあの日。文筆を志したこの日。

【バーって書いて見返してないから、ですます調とかグチャグチャです!】

 

この戯言を書いてるブログ、だんだん読まれるようになってきた!一体誰が読んでるんだろう?笑

暇ですか?そこのあなた!こんなの読んでていいんですか?暇なんですか?笑

 

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でも、なんだかありがとうございます。

 

私は今はライター、文筆業、インタビューなどのお仕事は長期お休み中ですが、本当は音楽の方が好きなんです。でも、音楽は鑑賞しかできないんです。どうしても。

 

だから、諦めて、いつの間にか文章を書く仕事をしていました。この部分だけいうと、村上春樹さんと同じ笑。

 

村上春樹さんはミュージックバーをされてたんですよね、早稲田の近くで。たしか。たしか、最初は音楽家を志したと何かに書いていた気がします。けれど、本当に音楽家だけは生まれつきの才能がないと無理だから、あきらめて、文筆家をされていると。何かに書いていたような。忘れちゃった。

 

それを読んだのは確か大学生の頃かな。それこそ私も北新地のミュージックバーというかラウンジで働かせてもらっていて、下手なピアノなのでサブでたまーに演奏させてもらっていた頃。

 

私は音大にもピアノを上手く弾くことにも興味がなかったんですが、母親に「音大に行ってピアノを仕事にしたかった」という夢を勝手に託されまして、17歳までピアノの英才教育を受けさせられていたんです。今、母と絶縁してしまっているくらい関係が悪いのは、そのせいです笑。

 

好きでもないピアノのために、バレーボールとか、運動とか、歌とか、ダンスとか、恋愛とか、勉強とか、留学とか、何もできなかったから笑。

 

でも、そんな母とも本当に切れたのは私が30手前で、それまで、なんだかんだ友達親子をやったりしてました。なんとなく、未亡人の母を放っておけなくて。母に海外旅行に連れて行かれては、ツーショート写真をたくさんとり、友達に自慢する母。友達から「友達親子だね〜」という言葉を引き出して、喜ぶ母。ちょうど、「友達親子」という言葉が良いことのように流行った時期で辛かった。親子は永遠に親子です。友達にはならないよ。

 

15カ国くらいは母に海外旅行に連れて行かれた気がします。正直毎回嫌で、断っても断っても無理やり連れて行かれる感じ。母他2人で海外旅行いっても、景色は変われど思うことなんて同じ。なんの新鮮味もないから何も楽しくない笑。あーいうのは、友達と行くから楽しいんですよね。

 

旅行も音楽も、どこに行くか食べるかではなく、誰と行くか食べるか。

 

覚えてるのはフランスのクレープがやたら美味しかったことくらい。母との旅行のストレスも限界だったので(中高大の夏休みがつぶれるので友達と遊べない)

 

友達と遊びたかった私はNY旅行を断ったら、

凄い声で「男かぁぁぁ!!!!!?男と遊ぶために行かないんやろ??!!」と、すごい怒鳴られたことがあって、「あ、、、異常だ(察し)」となり、それ以降、何があっても母との旅行は断るように笑。怖すぎるもんw

 

私に男の影でもできようもんなら住所を調べて車で偵察に行くような人でしたから恋愛も怖くてできない。

 

「私は母が気にいる人、母が連れてきた人としか結婚できないんだろうな」と思っていたので、人を好きになることを中学生くらいから諦めていたような気がします。女子校というのもあったけど、極端に恋愛に関心がなかったのは、自分の心のせいなのか、周りにいい男が居なかったのかは分かりません笑。

 

でもある時、「やっぱり母の連れてきた人と結婚するなんてヤダ!このままいくと、お見合いさせられそうだから、お見合いなんてできないように、バツイチになってやる!!」と思って、

 

当時近くにいた男の人(笑)に「結婚しない?」って提案して、結婚して離婚してバツイチになったこともあります笑。なんか、テキーラ飲んで思いついて、結婚しようぜー!って結婚したんだけど、

 

朝起きてシラフで「わたし、、結婚、、しちゃった!?やば!!」ってなり、

そこでやっと「結婚とは」とググったんです笑。

 

そしたら、「双方助け合う義務をおう」みたいなお堅いことが色々書いてありましてですね、、、

 

結婚した相手というのは、申し訳ないけど愛した相手ではなかったので(すみません)、

「そんな義務を追うなんてまっぴらごめんだー!」と思って、次の日の朝、「離婚してください!!」と頭を下げて謝ってブチギレられて笑

それでも引き下がらず説得し続けて3日で離婚してもらったという事件がありました笑。

 

飲めないのにテキーラ飲むって怖い笑。

 

なんか今「双極性障害」とか言われてるけど、それが本当なら、もうこれ立派な躁状態だよね笑。絶対病気じゃなくて生まれつきヤバイか、、、

それか、気づいてなかっただけで、すでに親のストレスで発症してたか。

 

23歳だったっけなぁ。

そしてちょうどパスポートとるために戸籍抄本見た母から呼び出しをくらい、母は大泣き。

 

泣いている母をみて、心の中でガッツポーズをしちゃったよ。

 

「私はここまでして自分の戸籍を傷つけてでもあなたに子離れしてもらいたいってことがわかったか!!」と心の中で思ったけど、きっとその意図も伝わってなかったんだろうな。

 

とにかく母と離れたくて、妊娠の報告も、お腹が大きくなってから呼び出して、「ほら、妊娠したの」と言って大泣きされた。「妊娠しちゃったの、シングルマザーなの、どうしよう、、」って、初期に相談して欲しかったのかな。そんなの、あなたにするわけないじゃん。てことがいいたかったんだよねぇ、、、。

 

そんな私も、一応音楽に才能がないと分かっていながら音楽業界に就職しようと思ったのは憧れもあるけど、母への償いでもあり。

 

「いいピアノかってもらって、17年間も期待されて、そのピアノが何も身を結ばないのは、なんだか私も辛いし母にも申し訳ないな」という気持ちがどこかにあって。

 

音楽会社に受かった時に、思ってもないけど、親孝行になるかなと思って「一番行きたい会社に受かったよ。ピアノをやってたのも無駄じゃなかったよ」と母にいったとき、母はそれが、私は本当は思っても居ない言葉(絶対受かった理由ピアノ関係ないと思う)だともわからずに純粋に喜んでくれて、私の心なんて母はずっとわからないままなんだろうな、と、虚しく切なく思った気持ちが蘇る。母が喜んでて親孝行したはずなのに、なんかすごく距離を感じて悲しくなったな。親子って切ない。

 

でも、音楽業界でなにか頑張って目立った仕事をできることが、「ピアノをやらせてもらってたことが無駄じゃなかった」と言える材料になる気がして、会社ではとにかく出世したいとか、大きな仕事がしたいとか焦っていた記憶がある。けど、所詮は会社員。華やかな世界に見えるけど、普通のOLだから、なかなか難しい。そこを突破できるほどの力はその時の私にはなかったな。

 

結局、音楽業界に入って良かったことは、心から音楽を諦めることができたこと。

 

本物の天才たちのライブや演奏に間近に触れて、

レベルが違いすぎるどころの騒ぎじゃないことを知りました。異次元というか、「演奏が上手い」とか「何かが上手い」とかのレベルじゃない。異次元なんです。演奏も、音も、音楽への向き合い方も。それを見て、「音楽を奏でる場所は私のいる場所じゃないんだな。私は聴く専門だな」と、ようやく完全に諦めることができた。

 

その意味では、たくさんの本物と言われる方の演奏や制作のお話を聴いたりできる場に少しでも身をおけたことは本当に意味があった。

 

今でも憧れはあります。別にライターって興味ないし、書いてて楽しくないし、音楽が好きなんだし、音楽の仕事がしたいんだけどな、と思うんだけど、

 

「だめだめ、才能ないんだったでしょ」と、自分に言い聞かせる日々です笑。

なので、音楽の才能がある人には、特にリスペクトしてる。

 

私も、「書くの仕事にしてたけど別に好きじゃないし」とか、捻くれたことを言ってないで、

心から「書くことが好きだ」といえて、それが自分の転職だと思えて、それに本気で向き合える日が早くこれば良いなと思っています。

 

きっとそれは、音楽を諦める覚悟と、分泌を好きになる覚悟なのでしょう。